
登録有形文化財 細田家住宅「旧御嶽館」調査報告
H家住宅 / 2013
甲府市・御岳の集落はかつて江戸時代には「御嶽千軒」と言われるほど参拝客や水晶研磨産業で賑わっていました。金櫻神社の参道階段の脇にたたずむ「旧御嶽館」は大正10年に旅館として建て替えられました。それ以前は切妻造杉皮置石葺き2階建ての旅館の様子が古図から読めますが、入母屋造瓦葺、総欅造り2階建てとなりました。建物に使用されている木材は代々管理してきた杜より切り出され、10年間山中にて枯らして挽いたものであると伝えられています。ビードロガラスのモンドリアン風な建具を使い、当時はモダンな建物であったでしょう。地元の衆に尋ねると、欅は山中にたまにあると言われています。計画的に、価値のある杜の材を使用でき、それを扱う事のできる職人衆を集め、金櫻神社第三の鳥居の真後ろの好位置に存する御嶽館の御当主は、相当な財力や人望が厚い親分であったと推測できます。前御当主の血縁に当たる友人を通じて、登録有形文化財への調査報告となりました。

外観。構造様式 「主屋」―木造2階建日本瓦葺き入母屋屋根、一部銅菱葺き・カラー鉄板瓦棒及び平葺き、漆喰壁。
細田家住宅主屋(旧御嶽館)は、甲府市荒川上流山紫水明行楽地で有名な昇仙峡仙峨滝の奥、金櫻神社を中心とした川沿いの御岳町集落に位置している。かつては山岳信仰の霊山である金峰山(2599m)を修験者たちが、山頂の五丈岩に金剛蔵王権現を祀り、修行の行場として平安後期から全国より修験者・御嶽講の参拝者が参詣してきました。、その下社に位置する金櫻神社は里宮の一つとして位置し、その宿場として開けてきた地域でした。現在でも神社所有の山林保全や、甲府市の水源涵養保安林などを管理して、水上の治水や水源維持に寄与している集落です。
細田家は金櫻神社の大鳥居を通り過ぎた石段脇に位置しています。その場所にあることで、古(いにしえ)より神社との関係がとても深いことが分かります。前御当主の亡き父の時代、旅館業のほかにも商いをしており、馬方を雇って、塩、食料品等を甲府から仕入れ、帰り馬には炭等、林産品を出していました。現在の建物は、先々代が建てています。
棟札には「大正十年六月廿二日(1921・6・22)細田多郎、匠長・佐野實三、棟梁・高野健二郎、脇棟梁・望月代吉、杜職・林定二郎、石工・佐野茂正、鳶職・武井重清」とあり、祖父多朗が現在2024年より103年前に建替えたことになります。

氏子総代でもあった前御当主は、神社の拝殿において主要祭事で甲府市の無形文化財に指定されている「大々神楽」を最初に舞うという。その出し物の「奉幣(ほうへい)」では、面を付けず白の狩衣を纏い神楽を始めるに際して、その場を清めるという意の四方で舞う役割を演ずる立場であることから、代々神社の氏子としての要職を司っていることが分かります。この大々神楽の神楽付面や衣装は、甲府市の文化財に指定され重要に保管されています。
旅館業などを昭和の初期からは御嶽営業者組合を設立し、御嶽館(細田家)はその拠点としての中心的な役割をしてきました。集落内では金櫻神社の拝殿にて「御嶽芝居」や農村歌舞伎が行われていました。浅香光代一座が興行を打つなどした芝居小屋もあって、御嶽千軒といわれた隆盛時代を物語ることもありました。その一座は細田家「旧御嶽館」に宿泊したそうです。その街並みを形成してきた旅館群の建築は、細田家「旧御嶽館」、大黒屋、松田屋、等を代表に金櫻神社参道御岳川沿いの景観を今も維持しています。
現在遺っている建築は103年前からの地域景観を保持してきました。それ以前からの集落の生活を支えてきた暮らしの文化を継承するためにも、その造形の規範となる貴重な建造物です。